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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)5839号 判決

原告

山﨑篤

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

小川剛

被告

大阪府

右代表者知事

中川和雄

右訴訟代理人弁護士

土井廣

主文

一  被告は、原告山﨑篤に対し金九〇六四万五〇六五円、原告山﨑尚敏に対し金一六〇万円、原告山﨑晶子に対し金一六〇万円、及び、これらに対する平成三年八月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告山﨑篤に対し金二億三五九五万二六七五円、原告山﨑尚敏に対し金四五〇万円、原告山﨑晶子に対し金四五〇万円、及び、これらに対する平成三年八月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、大阪府立茨木高等学校(以下「茨木高校」という。)を設置し、その経費を負担している。同校に所属する教職員である宮野淳一(以下「宮野教諭」という。)は被告に雇用された公務員である。

(二) 原告山﨑篤(昭和四七年七月一八日生。以下「原告篤」という。)は、昭和六三年四月、茨木高校に入学し、同年八月六日当時、同校第一学年の生徒であった。

原告篤は、同年四月、同校がクラブ活動の一環として設けているラグビー部に入部し、同部の指導教官である宮野教諭の指導監督の下にラグビーの練習を開始した。

原告山﨑尚敏は原告篤の父親であり、原告山﨑晶子は原告篤の母親である。

2  本件事故の発生

昭和六三年八月六日午前一〇時二五分ころ、茨木高校のグランドにおいて、同校のクラブ活動の一環として、宮野教諭の指導監督の下にラグビー部の紅白試合(A・B両チームに分かれての練習試合)が行われていた。

原告篤は、Bチームの選手としてこの紅白試合に参加していたが、宮野教諭の面前において、他の選手等と共にスクラムを組み、レフェリーをしていた宮野教諭の笛の合図に従って、Aチームと押し合いもみ合う最中に、突然、第五頚椎脱臼骨折、頚髄損傷という傷害を負った。

3  被告の責任

(一) 安全配慮義務違反

被告は、その教育活動の一環として、生徒らを指導監督してクラブ活動を行なわしめるのであり、ラグビーの試合という傷害事故の発生しやすい危険の伴う集団活動を指導監督するについては、そのような事故を未然に防ぐために細心の注意を払い万全の対策を講じるべき、参加生徒の身体生命に対する安全配慮義務を負う。

(1) 原告篤は、四か月足らずの練習のみでは、頚部の筋肉の強化の面、技術的な面双方で準備不足であり、まだ試合ができるほどの域に達していなかった。

また、Aチームはそのほとんどが春の公式試合に出場した際のいわゆる一軍選手で構成されており、原告篤の加わったBチームはそれ以外の選手で構成されており、AチームとBチームのスクラムにおける力の差は歴然たるものがあった。

さらに、左プロップ(一番)のポジションにある原告篤には、Aチームの右プロップ(三年生)、右フランカー(二年生)、右ロック(三年生)の圧倒的に優勢な三人の力が前面から、また、背後からはこれに負けまいとする、Bチームの左フランカー(二年生)、左ロック(二年生)の力が加わることになり、かかる強力な圧力が集中する状態であった。

したがって、宮野教諭には、ラグビーを始めてまだ四か月である原告篤をフォワードのうち左プロップのポジションにつかせ、ラグビーの技術・体力共に格段の差のある二、三年生と交わって、通常の試合形式をとった練習試合をさせたこと自体に、安全配慮義務違反がある。

(2) 仮に、右危険性に気付かず紅白試合を行う場合にも、指導者としては、初心者の危険発生を防止することを第一義とし、通常の試合のレフェリーと異なり、一般に危険とされているスクラムの状況については、ボールの行方以上に注意し、危険の発生が予見される兆候が見受けられた場合、即座にこれを防止するための適切な措置をとらなくてはならない。

しかるに、宮野教諭は、レフェリーの立場に徹し、スクラムの状況を注視するよりボールの行方に視線を注ぐことが多かったため、回を追うごとに初心者である原告篤のあたりでスクラムの盛り上がり・めくれ上がり(半身が起こされるような状態)が顕著になっているという危険の兆候に気付かず、あるいは気付いてもそれを重視しなかった。

したがって、遅くとも、めくれ上がりが顕著となった第八回目のスクラムにおいては、宮野教諭は、事故の危険を防止するため、プレーを中止させるべきであったにもかかわらず、漫然と試合を続行させたことは重大な安全配慮義務違反である。

(二) 国家賠償法一条の責任

右クラブ活動において、参加生徒らは、被告の設置管理している茨木高校の教職員らの指導監督下にあり、当該教職員らが行う生徒らに対する不適切な指導監督や適切な指導監督の欠如は、国家賠償法一条にいう違法な公権力の行使にあたる。

4  損害

(一) 積極的損害

(1) 付添看護費

金三三七万三四七一円

原告篤の看護のために、原告山﨑晶子は、昭和六三年八月三〇日から、平成元年二月二八日までの六か月間、職場において看護休暇を取り(なお、八月六日から同月二九日までは、夏季休暇及び有給休暇を当てた。)、そのため少なくとも総額金三三七万三四七一円の給与を得ることができなかった。右給与総額を付添看護費とみなすことができる。

(2) 入院雑費 金五九万一五〇〇円

原告篤は、治療のために、昭和六三年八月六日から平成元年一〇月末まで一年三か月にわたり入院を余儀なくされた。必要とされる入院中の雑費は、一日につき金一三〇〇円に入院日数四五五日を乗じて得られる金五九万一五〇〇円である。

(3) 家屋等改造費 金一〇三一万円

原告篤は、後述の後遺障害によって常時車椅子を必要とする状態となったため原告らの自宅を以下のとおり改造せざるを得なくなった。

道路面と一階床面との高低差に対応する為のリフト設置

一階トイレ、洗面所、風呂場の改造

一階和室を洋室に改造

一階床面を同一レベルに改造

原告篤は、右改造工事の設計施工を建築業者に発注し、工事費一〇三一万円を支払わざるを得なかった。

(4) 特別改造を施した車両の購入費

金一七四万一三七〇円

原告篤は、高等学校への通学を継続するため、身体障害者運転装置を備えた乗用車一台を購入せざるを得なかった。これに要した費用は以下のとおりである。

シート移動電気装置装着の乗用車の代金 金一五〇万円

身体障害者運転装置装着等費用 金二四万一三七〇円

(5) 将来の付添費(介護料)

金五八二四万三四八八円

原告篤は、後述の後遺障害によってその生存中付添介護を必要とする。近親者付添人の付添料は一日当たり六〇〇〇円が相当であり、平均余命五七.六九年継続して必要とする。その基準時たる平成三年七月一八日における評価は、期間五七年に対応する新ホフマン係数を用いて中間利息を控除すると、以下のとおり算定される。

年間付添費(6000円×365日)×26.5952

=5824万3488円

(6) 以上合計 金七四二五万九八二九円

(二) 逸失利益

本件事故当時、原告篤は、茨木高校一年生で、同校は学区内において筆頭に位置づけられる進学校であり、同人は、所属するクラスにおいて中程度の学業成績をあげていた。

原告篤は、両親やその他の人々からその将来を嘱望され、自身も期するところがあった。

ところが、本件事故により、頚髄損傷及び第五頚椎脱臼骨折の傷害を負い、四肢体幹麻痺(両手指機能全廃、両下肢機能全廃、膀胱直腸障害)という後遺障害を負い、後遺障害等級第一級に該当し、労働能力喪失率は一〇〇パーセントである。

原告篤は、本件事故に遭わなければ、学業終了後企業または官公庁に就職して、満六七歳に至るまで四八年間にわたって平均給与またはそれ以上の収入を得たものと推測される。したがって、以下の計算のとおり、原告篤の逸失利益の就労開始時における評価は、金一億一五六九万二八四六円である。

男子労働者学歴計給与額(年収・賃金センサス平成元年第一巻第一表)×労働能力喪失率×労働能力喪失期間(四八年間)に対応する新ホフマン係数

=479万5300円×100/100×24.1263

=1億1569万2846円

(三) 慰謝料

原告篤が本件事故により受けた傷害及び後遺障害を原因として、原告篤本人及びその両親が被った精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、以下の金額を下らない。

(1) 原告篤について

入院通院に対する慰謝料

金四〇〇万円

後遺障害に対する慰謝料

金二八〇〇万円

合計金三二〇〇万円

(2) 原告山﨑尚敏について

金四〇〇万円

(3) 原告山﨑晶子について

金四〇〇万円

(四) 弁護士費用

原告らは、法律知識と判断、訴訟実務上の経験を要する本件訴訟の代理を弁護士に委任せざるを得なかったが、弁護士報酬のうち、以下の金額は本件事故と相当因果関係を有する損害と考えられる。

(1) 原告篤について金一四〇〇万円

(2) 原告山﨑尚敏について

金五〇万円

(3) 原告山﨑晶子について

金五〇万円

5  よって、原告らは、被告に対し、被告が設置管理する茨木高校の教職員の安全配慮義務違反に基づく損害賠償、または、国家賠償法一条による損害賠償として、原告篤につき金二億三五九五万二六七五円、及び、原告山﨑尚敏及び同山﨑晶子につき各自金四五〇万円、並びに、これらに対する前記各基準時の後で訴状送達の日の翌日である平成三年八月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、それぞれ求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、本件事故発生時刻が一〇時二五分ころであること及びAチームとBチームとがもみ合っていたことはいずれも否認し、傷病名が第五頚椎脱臼骨折、頚髄損傷であることは不知、その余は認める。

3  同3の事実のうち、一般論として茨木高校がクラブ活動を行わしめるにつき生徒の身体、生命に対する安全配慮義務を負っていること、宮野教諭が原告篤に左プロップのポジションを付与したこと、クラブ活動中の教職員らの指導監督が国家賠償法一条にいう公権力の行使にあたることは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。

4  同4(一)(三)は不知。

同4(二)の事実のうち、本件事故発生当時原告篤が茨木高校の一年生であったこと、同校が学区内において筆頭に位置づけられる進学校であること、原告篤が本件事故当時所属するクラスにおいて中程度の学業成績をあげていたことはいずれも認め、その余の事実は不知。

同4(四)の事実のうち、原告らが本件訴訟の代理を弁護士に委任したことは認め、被告が原告らに賠償すべきであることは否認し、その余の事実は不知。

5  被告の主張

(一) 茨木高校ラグビー部の練習は、宮野教諭が、同部主将らと相談のうえ決めた練習計画に基づいて、宮野教諭の指導の下、毎日約三時間ずつ行われた。特に、一年生部員の練習については、基礎から段階的に向上するよう時期的に配慮し、四、五月は、おおむね基礎体力養成時期として首や肩を鍛え、六月初旬に一年生部員にポジションを付与した。原告篤は、中学時代に水泳部主将として、がっしりした体格をしており、フォワードを希望し、積極的な性格であったので左プロップのポジションを付与した。

六月中旬以降は、原告篤は、四回の練習試合、二回のミニゲームに左プロップとして参加した。

また、AチームとBチームには格段の力の差はない。このことは両者ともトライをしていないし、スクラムの押し進み具合がほぼ互角であることから明らかである。

さらに、高校一年生は、原則として九月から公式試合に参加できる。

したがって、宮野教諭が、本件事故当時、原告篤に左プロップのポジションを付与し、紅白試合に参加させたこと自体には何ら安全配慮義務違反はない。

(二) 紅白試合のスクラムにおいて、Bチームのフロントロー(スクラムの第一列。左プロップ、フッカー、右プロップで構成される。)の上半身が起き上がり気味なのは第八、第九回目のみであり、その押され方も第八回目が約一メートル、第九回目が約五〇センチメートルであるから、まだスクラムを中断させるほどの危険性はない。

また、第九回目のスクラムが盛り上がり始めてから原告篤が本件事故に遭うまでほんの一瞬のことであるので結果回避の時間的余裕はなかった。

したがって、原告の主張する安全配慮義務違反はない。

三  抗弁(損益相殺)

本件事故につき、原告篤が受領している金員は、①大阪府立高等学校安全互助会から重篤見舞金として金三〇万円、医療見舞金として金一〇〇万円、障害見舞金として金一八〇万円、②日本体育・学校健康センターから医療費として金一六三万九三〇九円、障害見舞金として金一八九〇万円、③大阪府立茨木高等学校安全互助会から医療見舞金として金二〇万円、障害見舞金として金一〇〇万円、④関西ラグビーフットボール協会から傷害見舞金として金一五〇万円の合計金二六三三万九三〇九円である。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は認める。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二本件事故の発生に至る経緯

1  昭和六三年八月六日、茨木高校のグランドにおいて、同校のクラブ活動の一環として、宮野教諭の指導監督の下にラグビー部の紅白試合が行われていたこと、原告篤は、Bチームの選手としてこの紅白試合に参加し、宮野教諭の面前において、他の選手等と共にスクラムを組み、Aチームと押し合っている最中に、突然、本件事故が発生したこと、宮野教諭が原告篤に左プロップのポジションを付与したことは、当事者間に争いがない。

2  右当事者間に争いがない事実に、〈書証番号略〉、検証の結果、並びに、証人宮野教諭及び同山﨑直の各証言を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  原告篤は、昭和六三年四月に茨木高校に入学し、同校のラクビー部に入部した。原告篤は、中学時代水泳部に所属し体を鍛えてはいたが、ラグビーをするのは初めてであった。

(二)  宮野教諭は、高校・大学時代からラグビー部に所属し、昭和六一年四月に茨木高校の教諭となってから、ラグビー部の顧問に就任し、本件事故当時にはC級レフェリーの資格を取得していた。

(三)  宮野教諭は、昭和六三年度も四月からの練習の年間計画を立てて、以下のとおりこれを実行した。

一年生については、四、五月は基礎体力をつけることに主眼をおき、ランニングや腕立て伏せ等の筋力トレーニングをさせ、頚の強化の練習、及び、基本的技術として、一対一、三対三のスクラムの練習をさせた。

六月以降は、各人のポジションを決め、二、三年生と合同でポジションごとの練習をさせた。フォワードは、上体そらしやウェイトトレーニングにより頚部周辺の筋力を増強し、三対三、五対五でのスクラムと、段階的に練習を重ねていた。

原告篤は、フォワードを希望し、積極的な性格であったうえに、中学時代に水泳をしていたため肩回りがしっかりしていたので左プロップに当てられた。

これらの練習は、月曜日から土曜日まで、夏は二時間三〇分から三時間をかけて行われた。

(四)  六月には、OB総会で一五分ハーフの一年生同志の練習試合、及び、高槻南高校との一年生同志の二〇分の練習試合を行った。七月に入って、合宿前には、五ないし七分間の九人制のミニゲーム、七月二六日からの合宿中には、泉尾高校の一年生も交えた九人制のミニゲーム、ABチームに分かれての二〇分ハーフの練習試合、ABチームに分かれての泉尾高校との二〇分間の練習試合をそれぞれ行った。

原告篤は、いずれの試合においても左プロップとして出場し、ABチームに分けた試合ではBチームに入っていた。

(五)  本件事故の発生した昭和六三年八月六日(土曜日)には、午前八時三〇分から、茨木高校グランドで練習を開始し、準備体操、ランニングパス等の練習をした後、九時三〇分から一〇時まで、ポジション別のサインプレー等の練習を行った。

(六)  宮野教諭は、当日は暑かったので二〇分ハーフの予定を一五分ハーフに短縮し、体調の悪い者がいないかどうか問い、怪我をしないために集中力を欠かさぬよう注意事項を告げた後、一〇時二〇分ころから、ABチームに分かれて紅白試合を開始した。原告篤は、Bチームの左プロップのポジションについた。

(七)  試合開始後合計九回のスクラムが組まれ、各チーム共得点を入れることなく、試合開始から約一二分経過した一〇時三二分ころ、第九回目のスクラムを組みボールが投入されて押し合ううちに、原告篤は、突然、第五頚椎脱臼骨折、頚髄損傷という傷害を負い、その場に倒れ込んだ。

(八)  右合計九回のスクラムのうち、Aチームボールでのスクラムは、第二、第三、第六回目の合計三回で、Bチームボールでのスクラムは、第一、第四、第五、第七ないし第九回目の合計六回であった。

Aチームボールでのスクラムの際には、双方の姿勢も低く、いずれの回にも顕著な動きはない。

Bチームボールでのスクラムについては、第一回目は、時計方向に回転しながら、全体としてAチームが押し勝ち、スクラム全体が盛り上がっている(〈書証番号略〉)。

第四回目は、大きな変化はない(〈書証番号略〉)。

第五回目は、Bチームはあまり後退していないが、Aチームが押し込みスクラムの幅が狭くなり、その分両チームのフロントローはかなり盛り上がり、始めに組んだときの高さの二倍程度になっている(〈書証番号略〉)。

第七回目は、第五回目と同様に、Aチームが押し込み両チームのフロントローはかなり盛り上がっている(〈書証番号略〉)。

第八回目は、Aチームはスクラム後端の選手でみて三歩程度Bチームを押し込み、Bチームはこれに押されて後退し、それと同時にBチームのフロントローはかなり盛り上がってめくれ上がり(これに対してAチームのスクラムの盛り上がりは少ない)、途中で原告篤の頭はスクラムから抜けたが(〈書証番号略〉)、押し合いは続き、スクラムの中心は少なくとも横で構えた選手の身長程度以上は優に移動して最終的には崩れている(〈書証番号略〉)。

第九回目は、第八回目と同様に、Bチームは押されて後退し、Bチームのフロントローは盛り上がり、スクラムは少なくとも近くにいる選手の身長の一倍半程度以上は優に移動し、Aチームのスクラムはめくれ上がった状態になっている(〈書証番号略〉)。そして、このスクラムの最中に本件事故が発生した。

三被告の責任

1 被告は、茨木高校を設置し管理する者であり、その在学関係に基づいて、生徒らを指導監督して教育活動の一環としてクラブ活動を行なわしめるのであるから、信義則上、これに参加する生徒の身体生命の安全に配慮すべき義務を負うというべきである(なお、右義務の存在については当事者間に争いはない。)。そして、ラグビー部の顧問であり、生徒らに本件紅白試合を行わせていた宮野教諭は、その義務についての履行補助者に該当する。

2  そこで、以下本件における右安全配慮義務の具体的な内容、及び、義務違反の有無について順次検討してゆくこととする。

まず、宮野教諭がラグビーを始めて間もない一年生である原告篤を左プロップのポジションにつかせたこと、及び、技術・体力に格段の差のある二、三年生と交わって通常の試合形式をとって紅白試合をさせたこと自体が安全配慮義務違反であるとの原告らの主張について検討する。

(一)  〈書証番号略〉及び証人前田嘉昭の証言によれば、ラグビーのポジションの中では、フォワードの中でもフロントローが最も危険であり、本件紅白試合の際には、左プロップである原告篤には、いずれも春の公式戦(春季大阪高等学校ラグビーフットボール大会)ではレギュラーメンバーであったAチームの右プロップ、右ロック、右フランカーの力が正面から、いずれも二年生であったBチームの左ロック、左フランカーの力が背後から、それぞれ集中する状態となることが認められ、原告篤に相当無理な力がかかるおそれがあったことがうかがわれる。

しかしながら、〈書証番号略〉によれば、高校一年生は、春の公式戦には原則として参加できないが、九月から開催される全国高等学校ラグビーフットボール大会大阪府予選への参加には制限はないこと、茨木高校ラグビー部でも本件事故直後に予定されていた右全国大会予選には、原告篤を含めて四名の一年生の登録が予定されていたことが認められ、これに向けて前記二2で認定したような練習が重ねられていたこと、原告篤はラグビーを始めて四か月の初心者ではあるものの、中学時代は水泳部に所属し体格もしっかりしており、四、五月は基礎体力を養成することを中心に練習し、六月にポジションを付与されてからも頚部周辺の筋力増強とともに段階的にスクラムの練習をしてきており、宮野教諭が自ら実際にスクラムを組んでみた印象でも原告篤は一年生としては首がしっかりしていたことなどを十分検討した上で原告篤を起用したものであることなどを考え合わせると、左プロップは危険なポジションではあるけれども、指導者において、初心者たる原告篤が左プロップのポジションについていることを認識し、具体的な試合の場面でそのことに十分配慮してゆくならば、一年生である原告篤を左プロップとして起用し公式戦へ向けての各種練習試合に八月ころから参加させること自体は、教育、鍛練の目的に照らして、許されないものと解するべきではない。

(二) また、〈書証番号略〉、証人宮野教諭及び同山﨑直の各証言によれば、Aチームは、三年生八名、二年生六名、一年生一名で構成され、春の公式戦のレギュラーメンバーは一一名であるのに対し、Bチームは、三年生二名、二年生七名、一年生六名で構成され、春の公式戦のレギュラーメンバーは二名であり、フォワードについては、Aチームは、三年生五名、二年生三名で構成され、春の公式戦のレギュラーメンバーは七名であるのに対し、Bチームは、三年生一名、二年生五名、一年生二名で構成され、春の公式戦のレギュラーメンバーは一名であり、秋の全国大会予選でレギュラー選手になると予測される者を中心にAチームが構成されていたことが認められ、その学年の構成、公式戦経験者・全国大会予選レギュラー予定者の割合等からして、両チーム間には、かなりの力の差があったことがうかがわれる。実際にも、前記二2で認定したとおり、合計九回のスクラムのうち、Aチームボールでのスクラムは安定しているのに、Bチームボールでのスクラムの際には、Bチームは終始押されて盛り上がり気味であること、特に第八、第九回目のスクラムではBチームが押されて数メートル後退していることからすれば、その力の差は明らかである。しかし、チームの力の差がそのこと自体で必然的にスクラムの危険性につながるとみるべき証拠はない上に、先にみたとおり、原告篤は本件紅白試合に先だって、前述のとおり、四月から基礎的な訓練と頚部の強化を重ね、スクラムの段階的な練習も積み、数回の練習試合で左プロップを経験していることなどを考慮すれば、指導者において、AチームとBチームの実力の差を十分に認識し、かつ、右のようにフロントローとしての一応の訓練を経たとはいえなお初心者である原告篤がBチームの左プロップに参加していることに配慮し、両チームの実力の差がスクラムの大幅な移動やめくれ上がり、その他スクラムの危険性につながる状態として具体的に表れたときは直ちにこれに対して適切に対応するなどの安全管理を十分に行うならば、公式戦に向けて両チームを前記のように編成し、かつ、これに原告篤を参加させて紅白試合を行うこと自体は、許されないものと解するべきではない。

(三)  以上のとおり、指導者である宮野教諭が、本件紅白試合の具体的局面において、前記のような点について十分配慮し、安全について適切な管理を行うならば、一年生である原告篤を左プロップにつけ、本件のようなチーム編成の紅白試合に参加させること自体が、安全配慮義務の違反にあたるとは速断できない。したがって、頭書の原告らの主張は採用できない。

3  次に、本件試合の中で、遅くとも、スクラムのめくれ上がりが顕著となった第八回目のスクラムにおいて、事故の危険を防止するため、宮野教諭はプレーを中止させるべきであったにもかかわらず、漫然と試合を続行させたことが重大な安全配慮義務の違反であるとの原告らの主張について検討する。

(一)  〈書証番号略〉によれば、スクラムを組むときは、肩の高さが腰の高さより低くならないようにして強くバインディングすることが正しい姿勢とされ、特に、顔を下げて組むと頭と頭がぶつかった時に首が前に折れて頚椎を痛める危険性があるので高校生以下では反則とされており、〈書証番号略〉及び証人宮野教諭の証言によれば、宮野教諭は、スクラムでの事故として、プレイヤーが下に崩れ落ちることによる事故と組み遅れによる事故への対策として、頚の筋力を強化し、姿勢をしっかり保つこと、フロントローの三人がタイミングを合わせて組むこと、落ちた場合も頭頂部から落ちないこと等は指導しているものの、首が押さえられた状態でスクラムがめくれ上がった場合に危険を防止するには首を抜くしか方法がないが、これは反則になるため(競技規則二〇条(4)、なお、一人が首を抜くことは、他のスクラムメンバーに不測の危険をもたらすおそれもある。)、むしろ首を抜かなくてすむよう強くなるように指導していたことが認められる。他方で、〈書証番号略〉によれば、スクラム内のプレイヤーが宙に浮かされたり、上方に押されてスクラムから出された場合には、レフェリーは直ちに笛を吹いてプレイヤーが押し続けるのをやめさせなければならないとされていることが認められる。

(二) しかして、前記二2で認定した本件各スクラムの状況によれば、第一、第五、第七回目のスクラムの際にはBチームのスクラムは押され気味で盛り上がりを見せていたのであり、両チームの実力の差などを考えると、これがめくれ上がりに移行する可能性は予測できたものというべきであり、めくれ上がりになれば、首を抜かざるを得ないが、前記のとおりむしろ首を抜かなくてすむよう頑張ることを指導してきており生徒自身が積極的に首を抜いて危険を回避する行動をとることが期待できないのであるから、指導者としては、早期にスクラムを中断し、めくれ上がりの危険に対する注意をうながすなり、スクラムの組み方を指導するなりして安全に配慮する必要があったものと考えられる。特に、第八回目のスクラムでは、Bチームはかなり押し込まれてフロントローは大きく盛り上がり、途中で原告篤の頭はスクラムから抜けている状態なのであるから、スクラム内のプレイヤーが宙に浮かされるか上方に押されてスクラムから出された場合に当たりレフェリーとしてもスクラムが押し続けるのをやめさせるべきであったと考えられる。まして、前記認定のとおりの状況で紅白試合を行わせ、一年生の原告篤をBチームの左プロップのポジションに置いていたのであるから、そのことを考慮して、その安全について十分な配慮をなすことが期待されていた指導者である宮野教諭においては、なおさらスクラムを中断するなりして安全のための具体的な措置を講ずべき要請は強かったものと考えられる。

ところが、こうした状況にありながら、宮野教諭がスクラムを中断しないまま試合を続行させたのは、従来、スクラムについては下に崩れ落ちることによる事故と組み遅れによる事故の危険が強調されてきていて、同人自身が認めているように、首を押さえられたままスクラムがめくれ上がることにより重大な事故が生じる可能性があることに関して認識が甘かったためといわざるを得ない。

(三) 〈書証番号略〉によれば、平成三年度の改正で、スクラムが1.5メートル以上前進したときは元の位置で組み直すこと(競技規則第二〇条(四)c)が高専、高校ラグビーのルールとされ、1.5メートル以上の前進を繰り返す行為は危険なプレーであるとされたことが認められる。他方、前記二2で認定したとおり、第八回目のスクラムの際には、Bチームは押されて後退し、スクラムは少なくとも選手の身長程度以上は優に移動して最終的には崩れている。本件紅白試合当時のルールでは、レフェリーとしては、スクラムを中断する必要はないのであるが、右改正が行われたのはスクラムが大きく移動することは高校ラグビーのレベルでは危険だからであると容易に推測できるところ、前記のとおりの状況で、原告篤の安全に特に配慮し危険を防止することが期待されていた指導者の立場からすると、右ルールのあるなしにかかわらず、右のような状況が継続して生じないようにスクラムを中断して具体的な措置を講ずべきであったといわざるを得ない。なお、紅白試合は練習の一環であるのだから公式戦とは違い試合を中断し指導を加えることは可能であり、生徒の意欲をそぐとはいえ安全のためにはこれをためらうべきではないと考える。

(四)  ちなみに、証人宮野教諭及び同前田嘉昭の各証言によれば、ラグビーにおいては危険防止に気を配るべき指導者の立場とレフェリーの立場とを完璧に兼ねることには無理があるところ、本件紅白試合においては、宮野教諭はレフェリーに徹して笛を吹いていたこと、従って、ボールを中心に試合を追い、スクラムの状況、特にその安全性については必ずしも十分な配慮が届かなかったことが認められる。

(五) そうすると、前記のとおり、一年生である原告篤を左プロップにつけ、前記のような編成の紅白試合に参加させたことから、指導者である宮野教諭には、試合の具体的局面において適切な管理をし、原告篤の安全に十分配慮し、危険の発生を未然に防止すべくより細心の注意が要求されていたのに、実際には、宮野教諭においては、めくれ上がりの危険に対する認識が十分でなかった上に、レフェリーに徹していたために、Aチームの押しが強くBチームは盛り上がり気味となり、第八回目のスクラムではAチームが大幅に押し進みBチームは後退し、スクラムの盛り上がりの状態も原告篤が首を抜くほどであったことや、それらの事態のもたらす危険性を看過し、右のような危険な状況が再び発生しないよう適切な措置を講ずることもなく、試合を続行させたものというほかない。そして、このことが安全配慮義務に違反すること、及び、そのことと本件事故の発生との間の因果関係があることは明らかであるといわざるをえない。

なお、被告は、第九回目のスクラムが盛り上がり始めてから本件事故が発生するまでの時間は、ほんの一瞬のことであるから、結果回避の時間的余裕がないと主張するが、前述のとおり、遅くとも第八回目のスクラムの時点ですでに危険な状況が表れており、結果回避のための具体的な措置が求められていたのであるから、第九回目のスクラムでの回避可能性は問題とならず、右主張は失当である。

4  以上の次第で、被告が原告篤に対して負担していた安全配慮義務について、その履行補助者である宮野教諭には懈怠が認められるといわざるをえないから、被告は、本件事故によって生じた損害を賠償する義務を負う。

四損害

1  〈書証番号略〉及び原告山﨑尚敏本人尋問の結果によれば、原告篤は、本件事故により、頚髄損傷、第五頚椎前方脱臼の傷害を受け、両側第七頚髄節不全麻痺、両側第八頚髄節以下完全麻痺として労働者災害補償保険法施行規則別表障害等級表に掲げる後遺障害等級第一級に該当する状態であり、両上肢の運動は可能であるが両手指機能が全廃しているため日常生活には著しい制限があり、両下肢機能が全廃しているため常時車椅子を使用せざるを得ず、膀胱・直腸障害があるため尿意・便意はなく自力で排尿・排便することができず、特に排便には全面的な家族の介助が必要であり、その他生活全般にわたって他人の介助が必要とされる状態であることが認められる。

2  積極的損害

(一)  付添看護費

金一二四万二〇〇〇円

原告山﨑尚敏本人尋問の結果によれば、原告篤の看護のために、原告山﨑晶子は、昭和六三年八月六日から平成元年二月二八日までの間職場を休んで原告篤に付き添ったことが認められ、その間同原告は八月三〇日以降の六か月間看護休暇を取り、その期間の給与三三七万余円を得ることができなかったことなどを考慮すると、家族の付添看護費として本件事故と因果関係のある損害は、これを一日あたり金六〇〇〇円とするのが相当である。これに付添看護した日数二〇七日を乗じて得られる総額は、金一二四万二〇〇〇円となる。

(二)  入院雑費

金四四万八〇〇〇円

〈書証番号略〉によれば、原告篤は、治療のために、昭和六三年八月六日から平成元年一〇月二七日まで四四八日間にわたり入院を余儀なくされたことが認められ、必要とされる入院中の雑費は、その期間などをも考慮すると一日につき一〇〇〇円とするのが相当である。これに入院日数四四八日を乗じて得られる総額は金四四万八〇〇〇円となる。

(三)  家屋等改造費

金九八一万三六九五円

〈書証番号略〉及び原告山﨑尚敏本人尋問の結果によれば、両下肢の機能を全廃し常時車椅子を必要とする状態となった原告篤の生活に対応するためには、原告らの自宅にリフトを設置し、一階トイレ、洗面所、風呂場の改造等をせざるを得なくなったこと、右改造工事の工事費は九八一万三六九五円であったことが認められる。これらは本件事故と相当因果関係を有する損害である。

(四)  特別改造を施した車両の購入費

金一七四万一三七〇円

〈書証番号略〉及び原告山﨑尚敏本人尋問の結果にれば、原告篤は、学校への車椅子での通学を可能にするためには自動車運転免許を取得し、身体障害者運転装置を備えた特別仕様の乗用車を購入せざるを得なかったこと、右使用の自動車の購入費用は合計一七四万一三七〇円であったことが認められる。これらは本件事故と相当因果関係を有する損害である。

(五)  将来の付添介護料

金三九一〇万円

前記認定のとおり、原告篤は、その生存中付添介護を必要とするものであり、前記認定の後遺障害の内容や〈書証番号略〉及び原告山﨑尚敏本人尋問の結果によって認められる日常介護の態様等を考慮すると、このための近親者による付添料としては一日当たり四〇〇〇円が相当である。原告篤は昭和四七年七月一八日生であることは当事者間に争いがなく、原告主張の基準時たる平成三年七月一八日(満一九歳時)時点の原告篤の平均余命は、平成三年簡易生命表によれば57.85年余であることが認められるから、これに対応する新ホフマン係数26.81を用いて中間利息を控除すると、右付添費の基準時における現価額は三九一〇万円(上四桁以下切り捨て)となる。

3  逸失利益

前記認定のような原告篤の四肢体幹麻痺(両手指機能全廃、両下肢機能全廃、膀胱直腸障害)の後遺障害(後遺障害等級第一級)に照らすと、これによる労働能力の喪失率は一応一〇〇パーセントと解するのが相当である(なお、原告山﨑尚敏本人尋問の結果によれば、原告篤は、本件事故後高等学校を卒業し、平成五年四月に大阪大学経済学部に入学したことが認められ、将来においても何らかの形で就業し、一定の収入を得るであろうことも考えられるが、それは本人の格別の努力と周囲の協力があって初めて達成されるところであるうえ、その収入を予測し割合を定率化することは困難であるので、右の点については、後述のとおり損害賠償額を決定する段階で改めて考慮することとする。)。

本件事故当時、原告篤は茨木高校一年生(一六歳)で、本件事故に遭わなければ、平成七年三月には大学を卒業して就職し、満六七歳に至るまでの四五年間にわたって就労し、少なくとも当初の給与以上の収入を得たものと推測することができる。

したがって、右労働能力喪失率一〇〇パーセントに対応する原告篤の逸失利益の現価は、賃金センサス平成四年第一巻第一表、産業計、企業規模計、男子労働者新大卒、二〇歳から二四歳まで平均給与額年収三一九万八二〇〇円を基準として、新ホフマン方式によって基準時である訴状送達の日の翌日の四年後から四九年後までの間の年五分の中間利息を控除して(係数20.8519)算出すると金六六六〇万円(上四桁以下切り捨て)となる。

4  慰謝料

原告篤が本件事故により受けた傷害、入院治療期間及び後遺障害の内容は前記認定のとおりであり、これにより原告篤本人及びその両親は重大な精神的苦痛を被ったことが明らかである。そして、右認定のような点や〈書証番号略〉及び原告山﨑尚敏本人尋問の結果によって認められる原告篤の日常介護の状況などからすると同原告らのこれによる苦痛を慰謝するに足りる金額は、原告篤については、いわゆる入通院に対する慰謝料、後遺障害に対する慰謝料を合わせて合計金一五〇〇万円、同山﨑尚敏及び同山﨑晶子については、原告篤の後遺障害に対する慰謝料として各自金二〇〇万円をそれぞれ下らないものとみるのが、一応、相当である。

5  弁護士費用

本件審理の経緯、認容額等諸般の事情を考慮すると、原告らが本件訴訟の代理人に支払う弁護士費用のうち、原告篤について金八〇〇万円、同山﨑尚敏及び同山﨑晶子について各金二〇万円は、本件事故と相当因果関係を有する損害にあたるというべきである。

五損害賠償の額について

本件事故によって原告らに生じた損害は、一応以上のとおり積算されるのであるが、損害賠償の額を定めるにあたっては、さらに検討すべきことがある。

1  すなわち、前記のように学校設置者には生徒の身体・生命の安全に配慮すべき義務が負わされているが、その一方で、ラグビーは、その競技形態からして本質的に、本件事故のような結果を招来する可能性のあるかなりの危険を伴う格闘技ともいうべき激しいスポーツであり、過去にも重大な事故が多数発生していることは一般に認識されているところであり、原告らにおいてもこれを認識していたものと推認される(ちなみに、原告篤の弟は、中学校時代からラグビーを続けている。)。しかるに、原告篤は、高校の正課の授業として本件試合に参加を義務づけられたものではなく、自らの自由な選択により高校入学と同時にラグビー部に入部し、自らフォワードを希望して左プロップのポジションを得て、入部約四か月で本件紅白試合に参加したものである以上、この競技に当然付随する危険についても、ある程度は自らこれを承認したものとして、これによって生じた不幸な結果をも自ら一部は甘受しなければならないというべきである。したがって、学校が生徒の安全のため当然なすべき配慮を故意に懈怠したために発生せしめた事故のような場合であれば格別、本件のように、一瞬に変転する試合の動態的経過の中における指導教諭の一時の安全配慮義務の懈怠によって発生した事故についてまで、それによる損害の全てを学校設置者に負担させることは、むしろ、損害の公平な分担を目的とする損害賠償制度の理念にそぐわない面があるばかりか、やがては、学校ラグビーの存在自体を困難にする結果をもたらすことにもなると考えられる。そのようなことは、本件事故後もラグビーを愛好し、宮野教諭の配慮の下にラグビー部に在籍して応援を続けた原告篤の意にも添わないものと解される。

2  さらに、原告篤は、本件事故後、平成二年四月に茨木高校に復学し、同年七月には運転免許を取得して自ら自動車を運転して通学し、平成五年四月、大阪大学経済学部に入学し、現在在学中であり、人一倍リハビリに努めた結果、車椅子での自動車の自力による乗降、ワープロ・コンピュータ等の操作、シャープペンシルによる筆記等も可能な状態にまで機能を回復している。このことは本件事故後の原告らの格別の人一倍の努力によるものであることは論をまたないが、その背後で、茨木高校においても、教師による勉学・進学の指導、援助をはじめ、車椅子による移動のため校舎を改造し、原告篤のために個室を用意したほか、体温調節の困難な原告篤のために冷暖房を実施する等の格別な施策を講じており、これにより原告らの努力を最大限支援したこともまた評価されなければならない。これに対しては、原告山﨑尚敏も学校の努力を認め、感謝の念を表明しているところである(以上同原告主尋問の結果)。このことは、本件事故後の学校の努力によって、原告らに生じた、あるいは今後現実化してゆく損害の一定部分が回避され、実質的な意味での賠償が行われてきたものとみることができる。そして、これらの自助努力と周囲の支援の結果、原告篤は、将来的に、さらに一層の自助努力を待つとはいえ前記積算にかかる損害(特に将来の逸失利益)をある程度は回避してゆく可能性も生じているということができる。

そうだとすると、前述のように本件事故によって生じた不幸な結果をある程度は甘受してゆかなければならない立場にある原告篤に対し、右のような一層の自助努力を期待し、これを見込んで損害賠償の額を定めることが衡平の観点からも相当であると考えられる。

3  そこで、以上のような諸点を総合考慮すると、損害の公平な分担を理念とする民法七二二条二項の趣旨を敷衍して、四項で前記のように一応積算された各種損害のうち、3の逸失利益についてはこれを四五〇〇万円とし、4の慰謝料については原告篤分を一〇〇〇万円、原告山﨑尚敏及び同山﨑晶子分を各一四〇万円として損害賠償の額を定めるのが相当である。

六損益相殺

本件事故に関して、大阪府立高等学校安全互助会等から見舞金その他の合計二六三三万九三〇九円が原告篤に支払われていることは当事者間に争いがないが、〈書証番号略〉によれば、そのうち金一六三万九三〇九円は、日本体育・学校健康センターから医療費として支払われたものであるところ、医療費は、そもそも原告らの本件訴訟においては先に控除されてその請求に含まれていないから、これを損益相殺することはできない。これを除くその余の合計金二四七〇万円は、本件事故を原因として原告篤が利得した金員であり、給付主体、名目及び金額からして、いずれも損害の填補としての性格を有することがうかがわれるから、これを前記損害金額から減殺するのが相当である。

七よって、原告らの請求は、被告に対し、原告篤につき金九〇六四万五〇六五円、同山﨑尚敏及び同山﨑晶子につき各自金一六〇万円、及び各金員に対して前記基準日の後で訴訟送達の日の翌日である平成三年八月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を請求する限度で理由があるから、これを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言については同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。なお、仮執行免脱宣言はその必要を認めないからこれを付さないこととする。

(裁判長裁判官小田耕治 裁判官栗原壯太 裁判官田村政巳)

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